諸祈念願

 

諸祈念願について

「祈念」とは、一般に祈祷きとう・祈願・祈請きしょうなどともいわれ、神仏に対し心願を込め自他のわざわいを払い、幸福と利益を祈り求めることをいいます。
日蓮正宗信徒は、寺院に当病とうびょう平癒へいゆや安産祈願などの諸祈念を願うことができます。寺院へは、本人が参詣して導師の僧侶とともに読経・唱題・祈念することが肝要です。
日蓮大聖人は、
「祈りも又くの如し。よき師とよき檀那だんなとよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就じょうじゅし、国土の大難をも払ふべき者なり」(法華初心成仏抄 新編1314頁)
と仰せられ、よき師(僧侶)、よき檀那(信徒)、よき法(南無妙法蓮華経)の三事が相応して、諸願も成就すると説かれています。
また、祈りの姿勢について、
「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき」(経王殿御返事 新編685頁)
と示され、祈念の成就には強盛ごうじょうな信心をもって唱題することの大事を教えられています。
なお、寺院への諸祈念願いとして、当病平癒祈念・安産祈念・命名祈念・やく払い祈念・進学就職祈念など、その願旨がんしも多種多様ですが、要は、正法を信ずる者は、南無妙法蓮華経の御本尊の御威光いこう倍増と、御本仏大聖人の御加護を祈り、その御利益によって、必ず一切の請願も成就するとの確信に立つべきなのです。

 

出典:日蓮正宗入門から転載

 

  日蓮大聖人は「神」の守護について『四条金御殿御返事』に、  

「魔訶止観(まかしかん)第八に云はく、弘決第八に云はく『必ず心の固きに仮(よ)って神の守り則ち強し』云云。

神の護ると申すも人の心つよきによ(依)るとみえて候。法華経はよ(善)きつるぎ(剣)なれども、つかう人によりて物をきり候か」(御書1292)

と仰せであります。信心が強ければ神の働きは強くなり、信心が弱ければ神の働きは弱くなります。自分自身の信心の強弱に神の守護は大きく左右されます。他力本願では、諸天善神の加護は弱いのであります。  

 

 神である諸天善神は、御題目の南無妙法蓮華経を主食としています。朝の勤行で東天に向かい、御経をあげ御題目を唱えなければ諸天善神は、力を出すことが出来ません。初座をあげるのは、諸天善神に「法味」を捧げ、護って下さるように御願いをするのであります。これを怠ると当然、神の働きは期待できません。御本尊様を受持しているのに、諸天善神の御加護がないと悩み疑いを抱いている人は、東天に向かい「法味」である御題目を唱えているかいないかを見直す必要があります。  

 

 諸天善神の守護は、「善神」とある如く、善行をおこなう人に守護の働きがあります。悪意を持ち、悪行に対し成功するよう諸天善神に御題目を捧げても守護の働きは一切なく、逆に仏罰を被ることになります。  世間の神社仏閣や邪宗の寺院には、神は存在せず悪鬼や魔人が住み着いています。「神天上の法門」というのがありますが、世の中は正法を信心する人が少ないために、「法味」である御題目を貰うことが出来ないので、天上界に神は帰ってしまったのであります。その代わりに邪神・邪横神である悪鬼が住み着いています。悪鬼が住み着いた神社で交通安全の「お守り」を購入して、車に付けると事故にあいます。時々、テレビのニュースで眼にしますが神社で買った「お守り」を付けた車が事故を起こしています。この現証は、正しく神社に悪鬼が住み着いている動かぬ証拠です。神社に初詣に行ったり、神社にお参りに行く人は以上のことを深く考え、正しい宗教である日蓮正宗について信心することを勧めます。

 

 『立正安国論』に、  「守護の善神去(さ)りて来たること無し。是偏(これひとえ)に法然(ほうねん)の選択(せんちゃく)に依るなり。悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷(まよ)へり。謗(ぼう)を好んで正(しょう)を忘る、善神怒(いか)りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏(へん)を好む、悪鬼便(たよ)りを得ざらんや。如(し)かず彼(か)の万祈を修せんよりは此の一凶(いっきょう)を禁ぜんには」(御書241)

と念仏宗である浄土宗・浄土真宗を破折されております。神社と同様に、間違った仏法にも守護の善神は去ってしまい、その寺院には悪鬼が住み着いています。この間違った仏法を断たなければ、本当の諸天善神の働きがないことを御指南されています。  諸天善神は、三大秘法の御本尊様を受持信行する、日蓮正宗の寺院や御本尊様を御安置する家に守護の力をもたらします。