年中行事

年中行事

年中行事の意義は、総本山大石寺に伝わる深遠(じんのん)な仏法を正しく伝えるとともに、僧俗が親しく行事に参加することによって仏縁を深め、もって広宣流布への前進を期するところにあります。

 

元旦勤行

 1月1日 正月一日は一年中でもっとも意義の深い祝日として、古来いろいろな行事がおこなわれてきました。日蓮大聖人は「五節供の次第を案ずるに、妙法蓮華経の五字の次第の祭りなり。正月は妙の一字のまつり」(新編334)とおおせられ、本宗で行われるる元旦勤行は一層深い意義をこめて御祝い申し上げる法要です。 大聖人は、十字御書に「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。」(新編1551)とおおせられて、年の始めを大切にする功徳を説かれています。 大妙寺においては、午前0時、午前11時、午後3時の三回、檀信徒が多数参詣して厳粛且つ荘厳に奉修されます。

 

興師会

 2月7日 私たちが今、宿縁深厚(しゅくえんじんこう)にして大聖人の仏法にあい、人生最大の目的である成仏の境界を得ることができるのは、ひとえに正法正義(しょうぼうしょうぎ)を堅く守り抜かれた第二祖・日興上人がおわしましたからであり、それゆえに本宗では「僧宝(そうぼう)の随一」として崇(あが)めています。興師会(こうしえ)は、日蓮大聖人から仏法の正義(しょうぎ)を受け継がれ、後世まで正しく法灯を伝えてくださった日興上人に対し奉り、僧俗一同、心から御報恩申し上げるための厳修される法要です。

 

宗祖御誕生会

 2月16日 日蓮大聖人は、貞応元年〔1222年)2月16日、貫名次郎重忠を父とし、梅菊女(うめぎくにょ)を母として、安房の国(あわのくに=千葉県)長狭郡東条小湊(ながさのごおりとうじょうこみなと)に、一切衆生を救済される御本仏として御誕生あそばされました。宗祖御誕生会(おたんじょうえ=日蓮大聖人御誕生法要)は、末法の御本仏である宗祖・日蓮大聖人様の末法御出現をお祝い申し上げ、その御報恩のために、御誕生日である2月16日に奉修される法要です。

 

彼岸会

 春分の日・秋分の日彼岸会(ひがんえ=お彼岸法要)は年2回、春分と秋分の時節に奉修されます。 彼岸とは、梵語の「パーラミータ(音訳:波羅密<はらみつ>)」からきていて、すなわち「彼岸(パーラム)に到る(イータ)」であり、私たちが生活している娑婆(しゃば)世界である「此岸(しがん)」から、成仏の境界(きょうがい)である彼岸に渡るという意味です。 彼岸の本来の意義は、まず生きている私たち自身が即身成仏して幸福な境界を切り開くことが重要であり、その功徳をもって先祖の追善供養をいたします。そして父母・祖先への知恩報恩(ちおんほうおん)のため、彼岸会のこの日に御本尊に御供養し、先祖の塔婆を立てて回向することにより、それが大善行となって到彼岸の要因となります。

 

宗旨建立会(立宗会)

 4月28日宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ)とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1153年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。 この宗旨建立には「内証(ないしょう)」と「外用(げゆう)」の二義があり、4月28日宗旨建立の1ヶ月前である3月28日、まず法界に対する内証の題目の宣示をあそばされました。すなわち3月の宗旨建立は、顕正(けんしょう)に即する破邪(はじゃ)の説法を面(おもて)とされて少機のために大法を示され、4月は破邪に即する顕正の説法が面となり、万機のために題目を弘通せられた意義があります。 日蓮大聖人は『諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』に、 「今日蓮は去(い)ぬる建長五年癸丑四月廿八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只(ただ)妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり。此(これ)即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書1539ページ) とあるように、すべての人々を救済せんとする御本仏の大慈大悲をもって宗旨を建立あそばされました。日蓮正宗の僧俗は、不退転の法華弘通(ほっけぐづう)と正法広布を誓願あそばされた日蓮大聖人の御心を拝し奉り、その宗旨建立に篤(あつ)く御報恩謝徳申し上げます。

 

盂蘭盆会

 7月15日・8月15日毎年7月15日および8月15日(旧盆)に、先祖の供養をおこなう仏教行事を「お盆」、正確には「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。 「盂蘭盆」とは、古代インド・サンスクリット語「ウランバーナ」の音訳で、「解倒懸(げとうけん)」と訳されます。「倒懸」とは逆さ吊りのことで、餓鬼道の飢えや渇きの苦しみが、あたかも逆さに吊るされた苦しみに似ているところから、このように言われました。つまり「解倒懸」とは、その苦しみから解放することを意味します。すなわちお盆とは、過去精霊(しょうりょう)の苦しみを取り除いて成仏へと導く法要なのです。 彼岸会と同様に、盂蘭盆会の本来の意義は、まず生きている私たち自身が即身成仏して幸福な境界を切り開くことが重要であり、その功徳をもって先祖の追善供養をし成仏へと導くのです。

 

竜ノ口法難会(御難会)

 9月12日竜ノ口法難会(御難会)は文永8年9月12日、宗祖・日蓮大聖人の竜ノ口(たつのくち)の法難を記念し、御報恩謝徳申し上げる法要です。 大聖人の御一生は「大難四ヵ度、小難数知れず」といわれるように大法難の連続でした。中でも9月12日の「竜ノ口の法難」は四ヵ度の大難中、とくに仏法上、重大な意義を持つ法難です。 日蓮大聖人は文永8年9月12日夜半、鎌倉をお出になり、丑(うし)の刻に竜ノ口において頸をはねられようとしましたが、不思議な光り物が飛来して太刀取りの眼がくらみ、ついに頸を切ることができませんでした。 この時日蓮大聖人は、仮の姿である凡夫のお立場から、末法の御本仏としての真実の姿を顕わされたのです。これを「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」と言います。 毎年9月12日に御難会法要を奉修し、日蓮大聖人に対し仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)申し上げると同時に、未曾有の迫害とそのご苦労を偲(しの)び奉り、広宣流布(こうせんるふ)を誓うところに御難会法要の大切な意義があります。

 

目師会

 11月15日第3祖・日目上人(にちもくしょうにん)は、日蓮大聖人に御入滅の日まで常随給仕し、大聖人から甚深の法義を授けられました。そして日蓮大聖人御入滅後は常に第2祖・日興上人に仕え、その片腕として大いに日興上人を助けました。 日蓮大聖人や日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること、実に42度にも及ぶと伝えられます。大聖人のおそばで常にお給仕に励んだお姿は、末代の僧俗すべての鏡として長く門葉の讃仰するところです。その御高徳を拝する末弟信徒は、報恩の誠を尽すため、祥月(しょうつき)命日の11月15日に日目上人御正当会を奉修します。これが目師会(もくしえ)という行事です。

 

御会式

 10月~11月日蓮大聖人の弟子・檀那にとって、一年で最も重要な法要が「御会式(おえしき)」です。 御会式とは、日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。 御本仏・日蓮大聖人の御入滅は「非滅の滅」であって、寂滅(じゃくめつ)の相を示された御生命は、 「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」(御書685頁) との御金言のように、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊として厳然と住せられ、常に衆生を導き、教えを説かれ、利益(りやく)を与えられているのです。御会式では、この御本仏の尊い御境界(ごきょうがい)を、そのまま儀式の上に拝します。 御会式の法要では、御住職様と6人の御尊師様方によって、『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』ならびに『御申状(おんもうしじょう=国家諫暁<かんぎょう>の書)』が奉読(ほうどく)されます。この奉読こそ、他の日蓮門下の遠く及ばない、日蓮正宗独特の意義深いものです。 日蓮大聖人の御化導(ごけどう)の目的は「正法治国(しょうぼうじこく)」にあり、これを述べられたのが『立正安国論』です。つまり、大聖人のご精神は折伏(しゃくぶく)にあるのです。よって、そのご精神を身をもって示された代々の御法主上人(ごほっすしょうにん)の御申状の奉読の儀こそ、大聖人の教えそのものを表現しています。またこの仏法によってのみ、一切衆生の真の安穏世界が築かれることをも表しているのです。 御尊師様方が御申状を読み終わったとき、参詣者一同が異口同音(いくどうおん)に題目三唱することによって、御会式に参詣した人すべてが一人ももれなく、自ら御申状を奉読したことになります。このことにより、大聖人のご精神をわが精神とし、広宣流布へ向かって精進することを、参詣者一同が御本仏大聖人様にお誓い申し上げているのです。 このように御会式とは、日蓮大聖人様の滅・不滅の甚深(じんじん)の御境界を拝して心から御報恩を申し上げ、さらに御本仏様の大慈大悲を現代に示しつつ、広布に向かっての一層の精進を誓う、誠に重要な法要です。このような御会式は、700年来、日蓮大聖人の正義(しょうぎ)を清浄(しょうじょう)なままに護持し続けてきた日蓮正宗以外では、絶対に奉修できない儀式であるといえます。 (『御会式奉読立正安国論並御申状』より抜粋)