大妙寺の歩み

昭和43年尼崎市に日蓮正宗の寺院が建立される。

日蓮正宗大妙寺は昭和四三年に総本山大石寺第66世法主日達上人の開基により建立されました。

昭和43年当時の阪急武庫之荘駅風景
昭和43年当時の阪急武庫之荘駅風景

 

南武庫之荘は武庫之荘の南側周辺です。昭和43年当時ははまだまだ田畑が多く残る住宅地でした。

大妙寺建設風景
大妙寺建設風景

 

この当時尼崎市にも創価学会による布教活動が積極的に行われて日蓮正宗の信徒が多くいましたが、尼崎市には日蓮正宗寺院はなく、信徒は大阪の浄妙寺か伊丹市の妙宣寺( 現正信会)、西宮市正蓮寺(正信会より寺院返還)にてご受戒、儀式法要を行われていました。大妙寺の建立は当時の信徒にとって待ちに待ったことで

何事にも代えがたい慶事だったそうです。

大妙寺落慶法要

一輪車で砂利を運び舗装する青年部
一輪車で砂利を運び舗装する青年部

 

 

いよいよ大妙寺が完成して待ちに待った落慶法要の日がきました。周辺道路はまだまだ舗装されていません。

当時の青年達は御法主上人猊下、御僧侶方、そして多くの参詣信徒のみなさんの為、周辺道路の舗装をしたそうです。

大妙寺落慶法要

日蓮正宗大妙寺は総本山大石寺第66世法主日達上人の開基により建立され、初代住職として高野顕昇師( 現住職 )が赴任されました。

日達上人御遷化

昭和54年7月21日は土曜日でした。日達上人は土曜日の夕方をご家族と一緒に穏やかに過ごされており、夕食も普通にとられました。その際、翌日のご自身の予定を側近の方に伝えられていたほどです。そして就寝され、その数時間後に、成住壊空の法理のもと、肉体としての寿命を全うされて、日達上人は臨終を迎えられました。そのお姿は穏やかで御尊顔はふっくらと、頬には赤みをおびているほどでした。訃報を聞きつけ、ただちに全国各地から総本山に参集してきた僧侶や親族の方々も、その尊い御姿・御尊顔を拝して、深い悲しみのなかにも、報恩謝徳の念をもって静かに唱題させていただいたそうです。

大石寺第67世日顕上人猊下御登座

昭和54年7月22日血脈相承の御内府を受けられていた日顕上人が67世法主上人となり猊座につかれました。日顕上人の大導師のもと通夜葬儀の儀式はおこなわれました。

大妙寺法華講支部の結成

 

大妙寺法華講支部の結成は昭和55年11月11日です。創価学会教義逸脱問題で正信覚醒運動により創価学会の誤りに気付き、三年に亘る間純真なる百余世帯の信徒が住職の下においてつどい、正式な法華講支部として日顕管長(当時)の認可を得て支部結成式を迎える事ができたそうです。

スナップ大妙寺支部1周年~

大妙寺20周年記念法要

昭和63年3月10日大妙寺20周年記念法要が布教区・有縁御僧侶方と多くの信徒参列の中おこなわれました。

また、妙栄寺御住職早瀬義雄師(当時)による布教講演がおこなわれました。

大妙寺本堂新築落慶法要

平成2年5月23日 総本山大石寺第67世日顕上人猊下( 当時 )大導師のもとに大妙寺本堂新築落慶法要が厳粛にかつ盛大におこなわれました。

日顕上人と記念撮影
日顕上人と記念撮影

総本山 第67世日顕上人・第68世日如上人御座替り

平成18年12月16日(金)、総本山第67世日顕上人猊下より、唯授一人の血脈相承を受け継がれた第68世日如上人猊下への御座替り式が、総本山客殿において厳粛に奉修されました。 

御座替り式より 御法主日如上人猊下御言葉

日如上人(左)日顕上人(右)
日如上人(左)日顕上人(右)

御承知のとおり、去る12月12日、日顕上人猊下より血脈相承をお受け申し上げ、総本山第68世の法燈を継ぐことに相なりました。もとより浅学非才・徳薄垢重の身ではございますが、日顕上人様より御相承をお受けした上は、一意専心・不自惜身命の精神をもって御奉公を尽くしてまいりたいと考えております。

幸い、日顕上人には御隠尊猊下としておわしまし、まことに心強く存じます。なにとぞこれから先も私どもをお見守りくださるよう、心から御願い申し上げるものでございます。 ( 御座替り式の模様 )

 

大妙寺開創50周年

宗祖日蓮大聖人御生誕八百年

平成33年法華講800万を目指して